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博多レター87. 他の人を成功させるリーダーシップ
Author
fvc
Date
2026-01-31 01:35
Views
52
博多レター87. 他の人を成功させるリーダーシップ
聖書で私たちはキリストのしもべであり、他の人のしもべにならなければならないという御言葉を聞くと、どのような思いがしますか。正直、少し混乱することもあるようです。しもべになるということはどのような意味で考えればよいのか、私も混乱することがありました。しもべなら信徒たちが呼べばいつでもどこでも駆けつけなければならないのではないか。土曜日に信徒たちに特別なことが起きて来てほしいと言われたら、他の予定は全て置いて行かなければならないのではないか。さらに、信徒たちにあれこれ申し上げること自体がしもべの姿勢にふさわしくないのではないか。このような思いで心が不快だったことが多くありました。
しかし、イエス様の仕えることを見ながら少しずつ理解するようになりました。イエス様は確かに「人の子が来たのは、仕えられるためではなく仕えるためであり、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるためである」(マルコによる福音書10:45、新共同訳)と言われました。しかし、イエス様の仕えることを見ると、弟子たちが望むことを無条件に聞き入れる方式ではありませんでした。ペトロが間違って考えたときは「サタン、引き下がれ」(マタイによる福音書16:23)と明確に叱られました。弟子たちが互いに誰が偉いかと争ったときも、彼らの考えを正してくださいました(マルコによる福音書9:33-37)。なぜそうされたのでしょうか。それが弟子たちを本当に成功させる道だったからです。
聖書が語るしもべのリーダーシップ、仕えるリーダーシップは、相手が望むことを無条件にしてあげることではありません。「その人を霊的に成功させること」でした。他の人を成功させるということは、世俗的にうまくいくようにすることを言うよりも、神様がご覧になって喜ばれる人に作り上げていくことです。それで天国で大きな報いを受けられるように、その人の信仰と生活をしっかりと建て上げることです。
家の教会のロゴを見ると、主日牧場共同礼拝、道コースの学び、牧場の集いという3つの軸の中心に「担任牧師のリーダーシップ」があります。ところが、この三角形は逆三角形(▽)の形で、下から上を支えている姿をしています。世のリーダーシップのように高いところから君臨するのではなく、低いところから仕えながら3つの軸をしっかりと支えるリーダーシップでなければならないという意味でしょう。そして、これは担任牧師だけでなく、牧者さん、牧女さん、そして私たち皆に当てはまる原理です。
このような観点を持つようになってから、私の心にも変化が訪れました。信徒たちが私の牧会のための道具ではなく、私が仕えてその方々を霊的に成功させて差し上げなければならない大切な方々に見え始めました。牧者さん、牧女さんも私を助ける方々ではなく、私が仕えてその方々の働きがうまくいくように助け、天国で私よりももっと大きな報いをお受けになれるように建て上げなければならない貴い方々だという思いがしました。そうすると、以前はできなかったことができるようになります。必要なときに率直に申し上げることができるようになります。親が子どもを心から愛するがゆえに時には厳しく言ってあげるように、他の人を霊的に成功させたいという心があれば、その結果を神様にお任せして、言うべきことは言えるようになるようです。
使徒パウロもこのように勧めました。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリピの信徒への手紙2:3-4、新共同訳)。他の人のことに注意を払うということは、ただ親切に接することを超えて、その人が霊的に正しく立つように助けることも含まれます。もちろん、そのような言葉を聞かれる方は最初は少し残念に思われるかもしれません。しかし、それが自分を本当に成功させようとする心から出たものであることをご理解いただければ、一時の不便さを超えて結局は益を得られることになるでしょう。牧場の集いで、職場で、家庭で「どうすればこの人を神様が喜ばれる人として成功させることができるだろうか」を考えながら仕えるとき、驚くべきことが起こります。
リーダーシップが支配の道具になるときは「あなたを殺さなければ私が生きられない」という思いで共に崩れることになります。しかし、仕えるリーダーシップがあるところには「あなたが生きれば私も生きる」という美しい共生が起こります。イエス様が弟子たちの足を洗われた後、このように言われました。「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」(ヨハネによる福音書13:14-15、新共同訳)。私たちの教会が、私たちの牧場が、そして私たちが仕える職場と家庭がこのような仕えるリーダーシップで満ちているなら、どれほど美しいでしょうか。この世も私たちを真のリーダーシップを持つ人々として認めるようになるでしょう。私たちの教会の信徒全員が他の人を成功させる美しいしもべとなることを願います。(2026.2.1.)
皆さんと共に歩む金ジュヨン牧師
聖書で私たちはキリストのしもべであり、他の人のしもべにならなければならないという御言葉を聞くと、どのような思いがしますか。正直、少し混乱することもあるようです。しもべになるということはどのような意味で考えればよいのか、私も混乱することがありました。しもべなら信徒たちが呼べばいつでもどこでも駆けつけなければならないのではないか。土曜日に信徒たちに特別なことが起きて来てほしいと言われたら、他の予定は全て置いて行かなければならないのではないか。さらに、信徒たちにあれこれ申し上げること自体がしもべの姿勢にふさわしくないのではないか。このような思いで心が不快だったことが多くありました。
しかし、イエス様の仕えることを見ながら少しずつ理解するようになりました。イエス様は確かに「人の子が来たのは、仕えられるためではなく仕えるためであり、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるためである」(マルコによる福音書10:45、新共同訳)と言われました。しかし、イエス様の仕えることを見ると、弟子たちが望むことを無条件に聞き入れる方式ではありませんでした。ペトロが間違って考えたときは「サタン、引き下がれ」(マタイによる福音書16:23)と明確に叱られました。弟子たちが互いに誰が偉いかと争ったときも、彼らの考えを正してくださいました(マルコによる福音書9:33-37)。なぜそうされたのでしょうか。それが弟子たちを本当に成功させる道だったからです。
聖書が語るしもべのリーダーシップ、仕えるリーダーシップは、相手が望むことを無条件にしてあげることではありません。「その人を霊的に成功させること」でした。他の人を成功させるということは、世俗的にうまくいくようにすることを言うよりも、神様がご覧になって喜ばれる人に作り上げていくことです。それで天国で大きな報いを受けられるように、その人の信仰と生活をしっかりと建て上げることです。
家の教会のロゴを見ると、主日牧場共同礼拝、道コースの学び、牧場の集いという3つの軸の中心に「担任牧師のリーダーシップ」があります。ところが、この三角形は逆三角形(▽)の形で、下から上を支えている姿をしています。世のリーダーシップのように高いところから君臨するのではなく、低いところから仕えながら3つの軸をしっかりと支えるリーダーシップでなければならないという意味でしょう。そして、これは担任牧師だけでなく、牧者さん、牧女さん、そして私たち皆に当てはまる原理です。
このような観点を持つようになってから、私の心にも変化が訪れました。信徒たちが私の牧会のための道具ではなく、私が仕えてその方々を霊的に成功させて差し上げなければならない大切な方々に見え始めました。牧者さん、牧女さんも私を助ける方々ではなく、私が仕えてその方々の働きがうまくいくように助け、天国で私よりももっと大きな報いをお受けになれるように建て上げなければならない貴い方々だという思いがしました。そうすると、以前はできなかったことができるようになります。必要なときに率直に申し上げることができるようになります。親が子どもを心から愛するがゆえに時には厳しく言ってあげるように、他の人を霊的に成功させたいという心があれば、その結果を神様にお任せして、言うべきことは言えるようになるようです。
使徒パウロもこのように勧めました。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリピの信徒への手紙2:3-4、新共同訳)。他の人のことに注意を払うということは、ただ親切に接することを超えて、その人が霊的に正しく立つように助けることも含まれます。もちろん、そのような言葉を聞かれる方は最初は少し残念に思われるかもしれません。しかし、それが自分を本当に成功させようとする心から出たものであることをご理解いただければ、一時の不便さを超えて結局は益を得られることになるでしょう。牧場の集いで、職場で、家庭で「どうすればこの人を神様が喜ばれる人として成功させることができるだろうか」を考えながら仕えるとき、驚くべきことが起こります。
リーダーシップが支配の道具になるときは「あなたを殺さなければ私が生きられない」という思いで共に崩れることになります。しかし、仕えるリーダーシップがあるところには「あなたが生きれば私も生きる」という美しい共生が起こります。イエス様が弟子たちの足を洗われた後、このように言われました。「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」(ヨハネによる福音書13:14-15、新共同訳)。私たちの教会が、私たちの牧場が、そして私たちが仕える職場と家庭がこのような仕えるリーダーシップで満ちているなら、どれほど美しいでしょうか。この世も私たちを真のリーダーシップを持つ人々として認めるようになるでしょう。私たちの教会の信徒全員が他の人を成功させる美しいしもべとなることを願います。(2026.2.1.)
皆さんと共に歩む金ジュヨン牧師
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