博多レター
하카타 레터
博多レター 31. 私たちが落胆する主な理由(神様は死んでいません)
Author
fvc
Date
2025-01-11 17:09
Views
540
(2024.03.21.韓国 家の教会ミニストリー院長 李ギョンジュン牧師のコラム)
詩篇42篇の御言葉を黙想して、私の心に結論を出したことがあります。それは、「私(人)が落胆する理由は、自分の思い通りにならないからだ」ということです。敵の圧制と敵対者たちの誹謗中傷で魂が落胆し、不安になりますが、詩篇の記者は神に希望を置き、神様の助けを求めながら神様を賛美しています。外部からの攻撃が私を苦しめても、それが私を落胆させるのではなく、それよりも自分自身が落胆することがより大きな問題であることを知りました。 実際、パウロとシラは刑務所に閉じ込められても「神様を賛美する歌」を歌いました。獅子の穴に投げ込まれたダニエル、兄弟に憎まれて奴隷生活をし、主人の女の濡れ衣を着せられ、刑務所に入れられたヨセフをみても、自分で落胆しないことがポイントです。もちろん、このような心を守ることは簡単なことではありません。
面白い記事を読んだことを思い出します。宗教改革者であるマルティン・ルターが仕事が思い通りにいかず、ひどく心を痛めて落胆していました。 その時、ルターの妻が喪服を着てルターの前に現れました。ルターが困惑した表情で妻に尋ねました。 「誰が亡くなったの?」 妻が答えました。 「神様が亡くなりました」と妻が答えました。ルターは信じられないという表情で「何を言っているのですか」と尋ねました。妻が再び答えました。「神様が死んでいなければ、あなたがそのような気の抜けた姿でいられるでしょうか?」 妻のこの言葉を聞いて、ルターは神様から力を得て、宗教改革を終えたということです。
私が20歳の時に初めてイエス様を信じた時のことです。50-70年代の韓国の家庭がほとんどそうであったように、私の家もお寺に通い、困難なことがある時は占い師を呼んで何代もの先祖まで祭祀をする雰囲気でした。ただでさえ従順に、最も熱心にこのような文化に従っていた私がイエス様を信じると、家中が騒がないわけがありませんでした。父からは戸籍を取り出せと言われ、母は荷物をまとめて家を出るように言われました。 それでも私は落胆するどころか、暗記していたテモテの信徒への手紙二3章12節の御言葉を思い出しました。「 キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。」 この御言葉を思い出し、「私はキリストのうちに敬虔に生きようとしているのだな。ですから、迫害を受けるのは当然だ」と思い、胸を張ることさえできました。
しかし、弟子訓練を通して後輩たちを養育していく中で、私の思い通りにならない姿を見ると落胆することがありました。 時には伝道をしても、イエス・キリストを受け入れずに終わると、失望することもありました。 祈っても祈った通りに答えがなかったり、状況が改善されないと落胆し、将来を心配することもありました。 しかし、祈りに答えてくださるのは主なる神様の役目です。祈ることまでが私の役目です。主は私たちに伝道しなさいと言われただけであって、イエス・キリストを受け入れるようにと言われたことはありません。 私たちがすべきことは伝道するまでのことです。私たちが伝道した人がイエス・キリストを受け入れるのは主の役目であって、私たちの役目ではありません。 ですから、私たちが伝道した人が受け入れなかったからといって失敗したわけではありません。
去年の冬に家族で旅行に行ったことがあります。私たちが泊まった宿泊先で、その宿の持ち主と話をする中で、福音を伝えることになりました。小学校4年生である私の孫娘がその様子を見たようです。 話を終えて帰ってきた時、孫娘が私に質問をしました。 「おじいちゃん、伝道したの?」 そうだと答えたら、再び質問をしました。 「おじいちゃん、成功したの?」 私が孫娘に答えました。 「その人が信じるか、信じないかは神様がなさることで、私たちがすべきことは伝道することまでだよ。 だから伝道したらそれが成功したことになるんだよ。」
そうです。私たちが伝道をしたら、伝道を受けた彼が信じるか、信じないかにかかわらず、成功したのです。 たとえ私たちが祈った通りに答えがなかったとしても、祈ったのなら成功したのです。成長させるのは主なる神様の役目です。牧会や牧場の状況、自分の子供の姿をはじめ、どんなことでも自分の思い通りにならなかった時、落胆して絶望することがないようにしなければなりません。 私たちの神様は死んでいません。 私たちは最善を尽くして忠誠を尽くすだけです。
以上の文章は、昨年2024.03.21に国際家の教会ミニストリーホームページに掲載された韓国家の教会ミニストリー院長である李・ギョンジュン牧師のコラムです。 このコラムを読んでもう一つ感じることは、私ができることと、神様がなさることは明らかに分かれているということです。 私ができないことは神様がなさるのです。私たちが信じる神様は死んだ方ではなく、今も生きておられる創造主なる神様です。詩篇の記者は、神に希望を置き、神の助けを求め、今も主を賛美しています。私の欲望が私を落胆させないようにして、創造主である神様への期待と希望をもって、今年一年が神様を喜び、主を賛美する教会になることを願って祈っています。 (2025.1.12.)
皆さんと一緒に奉仕するキム・ジュヨン牧師。
詩篇42篇の御言葉を黙想して、私の心に結論を出したことがあります。それは、「私(人)が落胆する理由は、自分の思い通りにならないからだ」ということです。敵の圧制と敵対者たちの誹謗中傷で魂が落胆し、不安になりますが、詩篇の記者は神に希望を置き、神様の助けを求めながら神様を賛美しています。外部からの攻撃が私を苦しめても、それが私を落胆させるのではなく、それよりも自分自身が落胆することがより大きな問題であることを知りました。 実際、パウロとシラは刑務所に閉じ込められても「神様を賛美する歌」を歌いました。獅子の穴に投げ込まれたダニエル、兄弟に憎まれて奴隷生活をし、主人の女の濡れ衣を着せられ、刑務所に入れられたヨセフをみても、自分で落胆しないことがポイントです。もちろん、このような心を守ることは簡単なことではありません。
面白い記事を読んだことを思い出します。宗教改革者であるマルティン・ルターが仕事が思い通りにいかず、ひどく心を痛めて落胆していました。 その時、ルターの妻が喪服を着てルターの前に現れました。ルターが困惑した表情で妻に尋ねました。 「誰が亡くなったの?」 妻が答えました。 「神様が亡くなりました」と妻が答えました。ルターは信じられないという表情で「何を言っているのですか」と尋ねました。妻が再び答えました。「神様が死んでいなければ、あなたがそのような気の抜けた姿でいられるでしょうか?」 妻のこの言葉を聞いて、ルターは神様から力を得て、宗教改革を終えたということです。
私が20歳の時に初めてイエス様を信じた時のことです。50-70年代の韓国の家庭がほとんどそうであったように、私の家もお寺に通い、困難なことがある時は占い師を呼んで何代もの先祖まで祭祀をする雰囲気でした。ただでさえ従順に、最も熱心にこのような文化に従っていた私がイエス様を信じると、家中が騒がないわけがありませんでした。父からは戸籍を取り出せと言われ、母は荷物をまとめて家を出るように言われました。 それでも私は落胆するどころか、暗記していたテモテの信徒への手紙二3章12節の御言葉を思い出しました。「 キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。」 この御言葉を思い出し、「私はキリストのうちに敬虔に生きようとしているのだな。ですから、迫害を受けるのは当然だ」と思い、胸を張ることさえできました。
しかし、弟子訓練を通して後輩たちを養育していく中で、私の思い通りにならない姿を見ると落胆することがありました。 時には伝道をしても、イエス・キリストを受け入れずに終わると、失望することもありました。 祈っても祈った通りに答えがなかったり、状況が改善されないと落胆し、将来を心配することもありました。 しかし、祈りに答えてくださるのは主なる神様の役目です。祈ることまでが私の役目です。主は私たちに伝道しなさいと言われただけであって、イエス・キリストを受け入れるようにと言われたことはありません。 私たちがすべきことは伝道するまでのことです。私たちが伝道した人がイエス・キリストを受け入れるのは主の役目であって、私たちの役目ではありません。 ですから、私たちが伝道した人が受け入れなかったからといって失敗したわけではありません。
去年の冬に家族で旅行に行ったことがあります。私たちが泊まった宿泊先で、その宿の持ち主と話をする中で、福音を伝えることになりました。小学校4年生である私の孫娘がその様子を見たようです。 話を終えて帰ってきた時、孫娘が私に質問をしました。 「おじいちゃん、伝道したの?」 そうだと答えたら、再び質問をしました。 「おじいちゃん、成功したの?」 私が孫娘に答えました。 「その人が信じるか、信じないかは神様がなさることで、私たちがすべきことは伝道することまでだよ。 だから伝道したらそれが成功したことになるんだよ。」
そうです。私たちが伝道をしたら、伝道を受けた彼が信じるか、信じないかにかかわらず、成功したのです。 たとえ私たちが祈った通りに答えがなかったとしても、祈ったのなら成功したのです。成長させるのは主なる神様の役目です。牧会や牧場の状況、自分の子供の姿をはじめ、どんなことでも自分の思い通りにならなかった時、落胆して絶望することがないようにしなければなりません。 私たちの神様は死んでいません。 私たちは最善を尽くして忠誠を尽くすだけです。
以上の文章は、昨年2024.03.21に国際家の教会ミニストリーホームページに掲載された韓国家の教会ミニストリー院長である李・ギョンジュン牧師のコラムです。 このコラムを読んでもう一つ感じることは、私ができることと、神様がなさることは明らかに分かれているということです。 私ができないことは神様がなさるのです。私たちが信じる神様は死んだ方ではなく、今も生きておられる創造主なる神様です。詩篇の記者は、神に希望を置き、神の助けを求め、今も主を賛美しています。私の欲望が私を落胆させないようにして、創造主である神様への期待と希望をもって、今年一年が神様を喜び、主を賛美する教会になることを願って祈っています。 (2025.1.12.)
皆さんと一緒に奉仕するキム・ジュヨン牧師。
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Hakata Letter 84: CU-IN - Here's How I'd Like You to Try It
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博多レター84. CU-IN(キューイン)、こうしてみてください。
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하카타레터 84. 큐인(CU-IN), 이렇게 해보시면 좋겠습니다.
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Hakata Letter 83: CU-IN - Why We Are Starting This
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博多レター83. CU-IN(キューイン)、このような理由で始めようとしています。
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하카타레터 83. 큐인(CU-IN), 이런 이유로 시작하려고 합니다.
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博多レター82. 2026年の霊的、社会的成長の目標を立てましょう
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하카타레터 82. 2026년 영적, 사회적 성장 목표를 세워봅시다
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博多レター81. 聖書的で健康な教会の三つの特徴(2025.10.12. ジャンサン教会イ・ジョンウ牧師先生のコラムより抜粋)
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하카타레터 81. 성경적인 건강한 교회의 세 가지 특징(2025.10.12. 장산교회 이정우목사 칼럼에서 발췌)
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